【第12回】とある芥川の随筆紹介

 世の中には天才と呼ばれる人たちがいる。天才ミュージシャン、天才アスリート、天才プログラマー、天才棋士と、様々な分野で様々な天才がいる。そして、天才というのは努力の天才だという言葉もある。けれども、天才と言われている人たちが努力したり、苦悩したりする瞬間を見る機会というものはあまりない。

 

 先週、僕は芥川龍之介の全集を空いた時間に読んでいた。芥川龍之介と言えば、日本では知らない人の方が珍しい作家だろう。毎年、ニュースでは芥川賞が発表されるし、国語の教科書にも「羅生門」が載っている。「羅生門」の他にも「河童」や「蜘蛛の糸」、「トロッコ」、「鼻」などの有名な作品がある。芥川は短編を得意としていた作家で、上記の作品も全て短編である。だから、空いた時間に読むのに適していた(このように書くのは失礼かもしれないが…)。まだ有名な作品ぐらいしか僕は読んでいないが、有名な作品は有名なだけあって、時代を経ても普通に面白いと感じることができた。芥川を天才作家と呼んでいいかどうかは僕には分からない。ただ、芥川が文豪であることは確かだと思う。

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世界の終末でも「河童」は読まれているようだ

 全集には多くの作品が収録されている。その中で一つ興味深いエッセイがあった。「一つの作が出来上がるまで」というエッセイだ。タイトルの通り、芥川が一つの作品が出来上がるまでの課程をエッセイに書いたものである。以下にそのエッセイの冒頭を記す。

ある一つの作品を書こうと思って、それが色々の径路をたどってから出来上がる場合と、直ぐ初めの計画通りに書き上がる場合とがある。例えば最初は土瓶を書こうと思っていて、それがいつの間にか鉄瓶に出来上がることもあり、また初めから土瓶を書こうと思うと土瓶がそのまま出来上がることもある。その土瓶にしても蔓(つる)を籐(とう)にしようと思っていたのが竹になったりすることもある。

  僕もこのブログで文章を書く時に、初めから考えていた内容を書けたこともあれば、そうでないこともあった。思い通りの文章を書くことは難しいのである。僕はこのエッセイを読むまで、文豪と呼ばれる人たちは比較的簡単に作品を生み出しているのだと考えていたが、それは間違いだったようである。実際には、一つの作品を生み出すまでに多くの苦悩や努力が存在するようだ。また、このエッセイには、芥川がある作品を書こうとしていたところ、同じような作品がすでに書かれていることを発見して作品を書く気がなくなったということも書かれていたりする。芥川にも人間臭いところがあるようだ。

 

 芥川の作品は著作権が切れているので、このエッセイは青空文庫で読むことができる。有難いことである。以下にリンクを貼っておくので、興味が湧いた方にはぜひ一度読んでいただきたいと思う。

芥川龍之介 一つの作が出来上るまで ――「枯野抄」――「奉教人の死」――