【第8回】「月がきれい」を見て心が浄化された話

「I love you をそう訳したのは、太宰だったか、漱石だったか……」

 これは「月がきれい」というアニメに出てくるモノローグである。

 今日は朝から「月がきれい」を一気見した。そして、心が浄化された。今回の記事では「月がきれい」を見た感想を書いておこうと思う。

  まずは「月がきれい」の内容を簡単に説明しよう。このアニメは、小説家を夢見る文芸部男子の小太郎と、走るのが好きな陸上部女子の茜の恋愛物語である。中学3年生の春に小太郎と茜は初めて同じクラスになり、運動会の用具係を通じて互いに意識し始めるところからこの物語は始まる。中学3年生というとどのようなイベントがあるだろうか?すぐに思い浮かぶのは、夏の最後の大会と部活の引退、運動会、秋の修学旅行、冬の高校受験や卒業式といったところだろう。「月がきれい」ではそれら全てのイベントが描かれ、小太郎と茜の恋愛が進展していく。もちろん、遊園地へ行くなどのサブイベントも描かれる。そして、それらを1クール(12話)でやるものだから話のテンポがよく、1話ごとの内容も非常に濃いものとなっている。

 

 10年前は僕も中学3年生であった。中学生というと、小学生の頃よりもクラス内の派閥というものが色濃くなってくる。イケてるグループとイケてないグループという2つのグループがクラスの中に出来上がり、その中にまた小さなグループが出来上がる。少なくとも僕がいた中学校ではそうであった。僕が所属していたグループは、イケてない方のグループである。中学3年生の頃の僕は、イケてない仲間とニコ動で発掘した面白い動画について語り合ったり、モンハンの集会所に入り浸るというような日々を過ごしていた。そんなくだらない日々が楽しかった。「月がきれい」は、「中学生」を本当に丁寧に描いている。劇中のクラスの中にイケてるグループとイケてないグループが存在することはもちろん、休み時間中の教室のシーンを見たときには「ああ、自分が中学生の時もこんな感じだったなあ」と思った。ただ、僕の中学生時代と大きく違う点もあった。それは、劇中のキャラクターたちがスマホを持っているという点だ。そのような時代背景なので、小太郎と茜はLINEを通じたやりとりと、現実世界での会話の両方で仲を深めていく。余談だが、僕が中学生の頃はガラケーが主流であった。というか、スマホという概念がまだ存在していなかった。クラスの女子の間ではケータイ小説の「恋空」が流行っていた。

 

 僕は基本的にアニメを一気に見ることはあまりないが、「月がきれい」は一気に見てしまった。このアニメでは第1話から引き込まれた。第1話では、ファミレスで小太郎の家族と茜の家族が偶然居合わせるという展開がある。ドリンクバーのコーナーで小太郎は自分のコップにメロンソーダを入れようとするのであるが、自分の後ろに茜がいることに気付くと、小太郎はメロンソーダのボタンを押すのをやめて自分のコップにアイスコーヒーを入れることにする。気になる異性の前でちょっと背伸びしてしまう感じ、これがたまらなかった。また、ファミレスから出るときに小太郎は、茜からファミレスで会ったことを秘密にしてほしいと言われる。その理由は、恥ずかしいからという単純なものだ。小太郎は秘密を守ることを約束するが、ファミレスに部活のジャージで来ていた茜に対して、そういうところは恥ずかしく思わないのかと疑問に思う。このあたりも等身大の中学生がよく表現されているのではないだろうか?

 

 僕はもう社会人になってしまったが、このアニメを見て青春の記憶が蘇った。僕の青春は決して華やかなものではなかった。夏頃の部活の引退試合では、補欠にも入れずベンチから応援していた。就学旅行の夜の「好きな人を教え合う会」では、当時片思いしていた女子に付き合っている人がいることが判明したし、家庭が崩壊したことで暗い顔をしていると受験勉強や人間関係でイラついた女子からイジメの標的になった。何だか涙が出てきそうなのでこれぐらいにしておくが、やり切れない青春だったと思う。そんな青春を送ってきた僕だったので、アニメを見ていると失われたものが色々と多すぎるような気がして人生をやり直したくなった。けれども、アニメの話数が進むうちに、僕はいつの間にか小太郎と茜の恋を応援していた。小太郎と茜が持つ純粋さが僕をそうさせたのかもれない。アニメの最終話では普通に泣いてしまった。素直にこのアニメに出会えて良かったと思った。

 まあ、正直に言うと「月がきれい」の世界は理想郷的なところもある。というか、完全に理想郷である。小太郎が悩んだ時には周りに相談できる大人がいるし、家に帰れば自分を見守ってくれる家庭がある。そして、茜もそれらを持っている。また、他者を徹底的に傷つけるような悪意を持つ人が登場しない世界でもある。なので、現実とはギャップがある(逆に現実とギャップのないアニメなんてものはない気もするが…)。そういうギャップに嫌悪感を抱く人であれば、たぶんこのアニメは合わないし面白いとも思わないだろう。

 

 このアニメを見た僕ができることは何だろうか?おそらくそれは、このアニメに登場した古本屋の店員のような大人を目指すことかもしれない。僕が子供の頃は周りに相談できる大人があまりいなかった。だからこそ、子供が相談できるような大人に僕はなりたいと思う。僕は小太郎のような中学生時代をもう一度送ることはできないが、これからの未来は自分の意志で作っていけるはずだ。