【第10回】ある少年の話

 日本はよく自殺大国と言われたりする。10年前の統計を調べてみると、年間自殺者数は3万人を超えていた。当時は先進国の中でワーストだったらしい。現在はどうなっているのかと言うと、去年の自殺者数は約2万2000人であった。減ってはいるが、それでも1日当たり60人が自殺をしている。

 これだけ多くの人が自殺をしているとなると、身近な人が自殺をしてしまったという話を聞くことがあるかもしれない。悲しいことである。今回の記事で書くのは、僕の記憶に残っているある少年のお話である。

  

 学生時代、僕は軽音学部に入っていた。その理由はとても単純で、ギターを弾くことができれば女性にモテると考えたからである。結果を言うと、僕は全くモテなかったし、バンドではベースを担当することになった。世の中はそんなに甘くないようである。けれども、バンド活動自体はとても楽しいものであった。

 ところで、バンド活動には切っても切り離せないものがあることをご存知だろうか? それは、スタジオ練習である。スタジオ練習とは、音楽スタジオの一室を借りて、そこで練習することを言う。音楽スタジオでは、自宅と違って大きな音を出しても何の問題もない。だから、皆で音を合わせるときには、基本的に音楽スタジオの一室を借りて練習することになるのだ。そして、同じ音楽スタジオを使い続けて常連になると、音楽スタジオの店員さんからライブ出演のお誘いが来ることがある。なので、スタジオ練習を定期的にやっているバンドは、やがてライブハウスが主催するライブに出演するようになっていく。僕たちのバンドも、その道を辿ることとなった。

 

 ライブハウスが主催するライブに出演するというと、何だか凄いことをやっているように聞こえるかもしれないが、その中身自体は全然大したものではない。ライブハウスでは、基本的にプロのミュージシャンが演奏をする。けれども、ライブハウスは1ヶ月間毎日プロを呼べる訳ではない。だから、プロのミュージシャンを呼べない日はライブハウスに空きが生まれる。では、その日は休業にするのかというと休業にはしない。その日は、学生バンド限定のライブを開催するなどしてライブハウスに空きが生まれないようにするのだ。

 学生バンド限定のライブに出演するバンドマンは、もちろん皆学生である。通う学校は違っていても、皆音楽が好きなのでバンドをやっている。だから、ライブはいつも盛り上がった。音がキンキンしているギター、リズム感のないドラム、周りの爆音で歌声がかき消されたボーカル、直立不動のベースといった編成の学生バンドが演奏するコピー曲は、もはや何の曲を演奏しているのかも分からない始末であったりするが……

 

 これはとある秋の日のことだったと思う。その日、僕たちは顔見知りのバンドと一緒にライブに出演することになった。対バンというやつである。その顔見知りのバンドとはもう3回ぐらい対バンをしていたので、そのバンドが何の曲を演奏するかはだいたい分かっていた。だから、その日のライブもいつもと同じように盛り上がって、いつもと同じように終わると僕は思っていた。ところが、その日はいつもと違っていた。顔見知りのバンドにいたギター担当の少年が、いつもとは違う激しいプレイをしていたのだ。激しいプレイをしていた彼は、手に持っていたピックを演奏中に落としてしまった。けれども、彼は落としたピックを拾おうとはしなかった。ピックの代わりに自らの爪を使って、全力でギターをかき鳴らしていた。ギターには斑点のような模様があちこちにできていた。

 そのバンドの演奏が終わってから、僕たちのバンドは楽屋に入った。楽屋のドアを開けると、そこには出番を終えたバンドのメンバーがくつろいでいた。ギターを弾いていた少年はパイプ椅子に座っていた。彼が足の上に乗せていたギターには、乾いた血がついていた。なんと僕が観客席からギターの模様だと思っていたものは全部彼の血だったのだ。ギターだけでなく、彼の手も血まみれになっていた。僕が大丈夫ですかと訊ねると、彼はちょっと笑いながら大丈夫だと答えた。その様子は少し不気味であった。そうしているうちに、僕たちのバンドの出番が来た。僕たちはステージへと上がって練習してきた楽曲を披露した。

 

 その日から2週間ぐらい経った頃だったと思う。僕はギターを弾いていた少年が自殺をしたという話を耳にした。その話を聞いた時に僕の頭に浮かんだのは、ライブでの彼の様子だった。もしかしたらあの時、彼はこれで最後のライブだと決めていたのかもしれない。だからこそ、彼はほとんど自傷行為ともいえるような激しいプレイをしていたのではないかと僕は思った。けれども、その真相は不明である。彼はあの時どんな思いでギターを弾いていたのだろうか……僕は今でもたまにこの日のことをふと思い出すのである。