【第4回】昔飼ってた文鳥の話

 みなさんはペットを飼われたことがあるだろうか?

 僕も昔、家族で文鳥を飼っていたことがあった。手乗り文鳥というやつだ。

  僕が小学四年生の頃だったと思う。一つ下の妹が文鳥を飼ってみたいと言い出した。僕の両親は、そろそろこの子も文鳥が欲しくなる年頃よねということで妹の要求をのみ、ペットショップに文鳥を買いに行くことになった。

 タウンページで住所を調べて、車で辿り着いたペットショップはかなり古かった趣があった。タウンページには、お店の写真がほとんど掲載されていない。だから、行ってみるまでどんな雰囲気のお店か分からないということがあったのだ。

 かなり古い趣のあるお店であったが、文鳥は無事に買えた。店員のおじさんが提示した価格は、文鳥の相場を全く知らない僕でも割高であると感じたが、文鳥は無事に買えた。こうして新しい家族が増えたのである。

 

 文鳥を初めて家に連れて帰ってきた時、文鳥は新しい環境にビビり倒していて、鳥かごから出てくる気配がなかった。だけど、3日経つ頃にはもう新しい環境に順応して、文字通り手乗り文鳥になっていた。当時、僕の同級生で、文鳥に「ピーちゃん」といういかにもおばあちゃんが付けそうな名前を付けて文鳥を溺愛している少年がいたが、何となくそいつの気持ちが文鳥を飼い始めてから分かった。僕もほぼ毎日のように文鳥を手に乗せて遊んでいたからだ。そして、文鳥との幸せな日々が続いた。

 しかし、文鳥が新しい家族になってから初めて迎えた冬に、文鳥は体調を崩してしまう。文鳥は寒さに弱いのだが、寒さ対策を怠ってしまったからである。文鳥の原産国は、南国の島国であるインドネシアだ。インドネシアは日本と同じく稲作をする国であるが、文鳥はその米を食べてしまう害鳥という扱いになっている。ようするに、文鳥インドネシア版の雀である。インドネシアには「寒さ」という概念が存在しないので、インドネシア版の雀はDNAレベルで寒さに弱い。というわけで、文鳥は動物病院に1週間ほど入院することになった。僕は文鳥の容態がとても心配であったが、飯は何の問題もなくのどを通った。

 文鳥が退院する日、オカンと僕の二人で動物病院に行った。動物病院までの道中では、文鳥が僕たちのことを忘れていたらどうしようという話をオカンとしていたように思う。「三歩で忘れる鳥頭」ということわざがあるからだ。けれども、その予想は良い意味で裏切られた。鳥かごに入っていた文鳥は僕たちの姿を見た瞬間に、今まで聞いたこともないぐらい大きな声で鳴き始めたからである。とても嬉しそうな鳴き声だった。文鳥は僕たちのことを忘れていなかったのだ。文鳥の体重はだいたい20グラムぐらいである。脳みその重さは1グラムを少し超えるか超えないかしかないだろう。でも、その1グラムの脳みその中に僕たちのことがきちんと記憶されていたのだ。凄いことだと思う。

 

 それから、冬は寒さ対策をきっちりすることで、文鳥は体調を崩すことなく寿命を全うした。老いてきてからは立つことも困難になってしまったが、死ぬ前日だけはとても元気な様子を見せて、次の日の朝にそっと息を引き取った。自分の死ぬ時が分かって、最後の元気を振り絞ったのかもしれない。「出会いは偶然、別れは必然」という言葉があるように、別れは必ずやってくる。でも、文鳥と過ごした思い出は僕の中にちゃんと残っている。そして、実家のソファにも文鳥の糞のシミがちゃんと残っているのだ。